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よろず日報

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宇多田ヒカルの疑問炸裂!セレブが語る子育論 ネットで共感

イギリスに住むミュージシャンの宇多田ヒカルさんが、日本の子育てに対して疑問を感じているようです。

10月20日に放送された「NEWS ZERO」の番組内で、彼女が持つ日本の子育てに関しての意見を述べたところ、その意見に賛同する人が声を上げています。

海外との環境の違いこそあれ、子育てそのものに違いはなく、現代日本人の寛容さに問題があるようです。

 

 

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場所にもよりますが、イギリスは日本よりも閑静で、比較的暮らしやすいかも知れません。

ただ、その分テロやデモに遭遇する可能性も高く、一概にセレブの意見が正しいとも言えません。

はたして、彼女が言うように、日本の社会は子育てがし難いのでしょうか?。

 

 

セレブと一般庶民の違い

 

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宇多田さんの意見を否定するつもりはありませんが、セレブの視点でしかないのは確かです。

満員電車に揺られることもなければ、ベビーカーを押してバスに乗車することもないでしょう。

子供を持つ親からすれば、何かと不便なことも少なくないとは思いますが、彼女が見ているのは飽くまでも箱の外からの景色です。

 

確かに、彼女自身は日本での子育てを経験していないとの前置きをしていますが、それはイギリスにおいても同じです。

セレブの生活がどうのと言うつもりはなくても、リミテーションがある中で暮らしている庶民とは、いささか視点がずれています。

もし、日本の子育てに難しさを感じるというのなら、それは宇多田さんと同じく、箱の外から内側を見ている人が、変革を起こそうとしているからに他ありません。

 

火中の栗を拾うには、燃え盛る炎の中に手を入れなければつかめません。

そうは出来ないセレブが、いかに栗に関して論じようとも、共感は得られても栗は依然として火の中なのです(諸事情を変化させるには至らないのです)。

市議会議員や県会議員、国会議員や親方日の丸でいる公務員が言葉を発しようとも、一般庶民のところまでは届いて来ないのと似ています。

 

彼女の、日本(東京)での子育てについての意見は以下の通りです。

 

「赤ちゃんが生まれて国が成り立っていくのに」

「将来自分の年金を払う人になってくれるのに」

「なんで、ちょっと泣いてるぐらいで嫌な気持ちになるんだろうとか、すごく不思議です」

 

全くの正論であり、賛同する人は少なくありません。

しかし、やはり日本には住まず、満ち足りた中で暮らす人には、庶民の気持ちを理解するのは簡単ではないでしょう。

それに、なぜ諸外国の暮らしと日本とを、そうまでして比較しなければならないのでしょうか?

 

まるで、日本での子育てには利点が無いと見るような発言には、反発を覚える人も多いでしょう。

 

 

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心に余裕のない社会

 

日本の社会に余裕がなくなったのは、戦後の経済成長とは無関係だと考えられます。

むしろ、ネット環境が完備し、SNSのシステムが一般化し始めた頃からでした。

それは、炎上が頻繁化し出した、2004年頃からだと言われています。

 

それまでは内に秘められていた怒りや嫉妬や不信感など、普段は抑圧されていた感情が、途端に噴出し始めました。

年齢にかかわらず、噛み付きたい相手には無差別に牙を向き、やがてそれがネットだけでは収まり切らず、リアル世界にまではみ出したのです。

可能性を広げたのはSNSでも、心から余裕を奪ったのもSNSでした。

 

おかしなことに、詐欺(振り込めやオレオレ)が初めて検挙されたのも2003年頃からです。

ネットが可能性を広げた事実は否めませんが、それに伴い詐欺や軽犯罪を増やす要因となったのもまた事実です。

そんな中、イジメはさらに加速度を増し、対象はより弱い者へと移行していったのです。

 

 

焦点は同じでも距離は違う

 

同じ場所を見ていても、そこまでに至る距離が違えば、受ける刺激は異なります。

それはあたかも、前線にいる兵士の危機感と、後方で司令を送る士官くらいに違うのです。

同じ戦闘という環境にありながらも、肌に伝わる危険には雲泥の差があるというものです。

 

そこでまた宇多田ヒカルさんについてですが、同じ日本の社会を見ていても、肌に伝わる危機感は、一般庶民とは全く別次元にあると思います。

勿論、全く共感出来ないなどとは思いませんが、24時間365日を日本で過ごす親とでは、比べる対象にはなりません。

だからと言って的外れな意見とも思えず、無碍にすることも出来ないのです。

 

 

終わりに

 

社会は日々変化をしているのに、その変化に対応出来ていないのは、むしろそこに住む人間の方ではないでしょうか?

満員電車で泣く子供をうるさいと感じる人もいれば、泣くのは子供の特権だとする人もいます。

しかし、子供が泣かずに済むように出来れば、親も肩身の狭い思いをせずに済み、対立する意見も生まれません。

 

親が出来ることには限界があり、社会の許容量にもまた限りがあります。

しかし、少し発想を転換すれば、誰もが不愉快な思いをせずに暮らせる社会は築けます。

少なくとも、100年ほど前の人権も確立していなかった頃から比べれば、今の社会の方が格段に住みやすくはなっているはずですから。

 

そして、宇多田ヒカルさんの意見は理想でも、そこへ近付く努力は必要であり、誰もが課せられた義務なのです。

国や行政がそう出来ないのなら、民間でやるしか方法はなく、そんな誰もが意見とアイデアを持ち寄って新しい秩序を作ろうとするとき、宇多田さんのような富と余裕のある人が力添えをしてくれれば、これまでは無理であったことが可能となるのではないでしょうか。

しかしながら、天気について語る人は多くても、天気に対して何かをする人はいないと言われるように、子育てについて意見を交わす人はいても、より子育てをしやすい環境を築こうとする人はほとんどいません。

 

子供の親が集まって何か行動を起こすだけでも、社会の一部は変わるかも知れません。

しかし、セレブの子育ては、羨望の的にはなっても参考にはなりません。

今必要なのは、10の意見よりも一つの行動ではないでしょうか。

 

 

 千の言葉よりも一つの行動が実を結びます。

yorozunippou.hatenablog.com