よろず日報

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瀬戸内寂聴の死刑制度批判は差別発言!?ネットで非難続出!

その昔、身勝手な不倫で夫と長女を残して逃避行に及んだ女流作家がいました。

当時のペンネームは三谷晴美、その後俗名を捨てて瀬戸内寂聴となります。

彼女は今や天台宗の僧侶の身ですが、時折後先を考えない発言で巷を賑わせます。

今回は、死刑制度を批判するあまり差別的な発言をしたことで、彼女自身が非難を浴びています。

 

 

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死刑制度を考える

 

死刑制度を廃止する運動は、今や世界的なうねりとなって国々を飲み込んで行きます。

現在では、死刑制度を廃止している国の方が多く、存置している国の方が少なくなっています。

事実上廃止している国を合わせれば、圧倒的に廃止の方向へと進んでいます。

 

 

死刑廃止国(例は一部です)

ドイツ、ギリシャ、英国、ニュージーランド、カナダ、イタリア、メキシコ、オーストラリア、フィリピン、その他

 

死刑存置国

日本、米国、中国、エジプト、インド、シンガポール、台湾、タイ、その他

 

 

なぜ廃止するのか?

 

死刑制度を廃止する理由はいくつかありますが、中でも最も明確なのは、死刑がまた新たな殺人を犯すからだとする考えです。

ある人権保護団体によると、

 

「死刑」に反対するのは、「死刑」という刑罰が、この「生きる権利」を侵害するものであり、残虐かつ非人道的で品位を傷つける刑罰であると考えるからです。

言うまでもなく、犯罪を処罰することを否定しているわけではありません。しかし、命を奪うことは、たとえ国家の名の下であっても、正義にはなりません。人為的に生命を奪う権利は、何人にも、どのような理由によってもありえないのです。

 

と言っています。

 

要するに、人間の命は、例え国家であっても奪う権利はないとの主張です。

 

 

反対派の意見は?

 

物事には、コインに両面があるように、表と裏があります。

死刑を反対する一方では、それに賛成する意見もあります。

では、死刑制度に賛成する人々の考えをまとめてみると、以下のようになりました。

 

1. 人の命を奪ったのだから、死をもって償わなければならない。

2. 被害者遺族の意思を尊重して。

3. 命を奪われた被害者の権利を遵守する。

 

このように、死には死をもって報いなければならない、といった考えが根底にあるようです。

 

 

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瀬戸内寂聴の発言

 

被害者ご自身の「生きる権利」、遺族の方の家族とともに再び一緒に過ごす権利は、たとえ死刑によって加害者を殺 したとしても、戻ってはきません。

被害者側の『人権』は、国家が経済的、心理的な支援を通じ、苦しみを緩和するためのシステムを構築することなどにより成し遂げられるべきものであって、死刑により加害者の命を奪うことによるものではないのです。

 

人権擁護の立場にいる人は、以上のような考えを共有しています。

そこで、瀬戸内寂聴さんの発言ですが、ほぼ人権保護団体の考え方を反映していると思われます。

ただし、彼女は、「人間が人間の罪を決めることは難しい。日本が(死刑制度を)まだ続けていることは恥ずかしい」、「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」と公共の場で罵ったのです。

 

この発言が、一部の被害者遺族を擁護する人達の反感を買ったようです。

 

 

問われるのは殺人か?

 

フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ(Rodrigo Duterte)大統領は、麻薬撲滅のために3000人にも上る麻薬ディーラーを殺害しました。

フィリピンは死刑制度を廃止した国ですが、国家君主による大量虐殺は許されるようです。

さて、国家権力が戦闘で犯人の命を奪うのと死刑とでは、何がどう違うのでしょうか?

 

 

命を奪うことは、たとえ国家の名の下であっても、正義にはなりません。人為的に生命を奪う権利は、何人にも、どのような理由によってもありえないのです。

 

 

人権団体の掲げるテーマとは180℃乖離しているように思いますが、ただ制度を廃止したからと言って殺人が無くなるわけではないのです。

 

瀬戸内寂聴さんは、元赤軍の元死刑囚であった永田洋子や、獄中で文芸賞を獲得した連続射殺犯の永山則夫元死刑囚(刑執行済み)などとも親交があり、当時から死刑反対のスタンスを貫いています。

しかし、今回は、僧侶にあるまじき配慮に欠けた発言であり、偏向的な意見でしかありません。

彼女の持つ仏教感や、過去の行いに対しての償いの気持ちが呼応して言わせたのでしょうが、それにしても思慮のない失言でした。

 

 

終わりに

 

死刑制度が廃止されても、殺人が減ることはないでしょう。

そして、その逆に、死刑制度が存置されても人は人を殺めます。

廃止を訴えている人の気持ちは理解出来ますが、それは刑を執行する側の気持ちを考えてのことではないでしょうか?

 

反対派からは冤罪を心配する声もあり、無実の人の命を奪う危険を孕んでいるのも分かります。

しかしながら、改心の余地もなく、更生とは程遠いような殺人者を、例え僅かではあっても、税金を使って生きながらえさせる意味はあるのでしょうか?

他人の生きる権利を奪った者の、生きる権利を考えるのは、はたして理に適っているのでしょうか?

 

罪を憎んで人を憎まずとは言ったところで、瀬戸内さんは賛成派を憎んでいるのではありませんか?

死刑制度の改革よりも、人の心から憎しみの種を摘むことの方が、むしろ僧侶の役割に相応しいのではないかと思えてなりません。

 

 

 これも人権問題ですか?

yorozunippou.hatenablog.com